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2021

努力し続けることで成長する|鈴木友也(4年)


努力し続けることで成長する



平素より帝京大学体育局サッカー部を応援して頂き誠に有難う御座います。

去年から新型コロナウイルスの感染が蔓延し、世界的に大変な状況の中、医療従事者、サッカー関係者、大学関係者の方々が新型コロナウイルスに対応して下さり、私たちが現在もサッカーの活動を続けることができています。本当に有難う御座います。



ブログを書くことが初めてなので何をどのように書いたらいいのか全く分からないのですが、私が思ったことや経験してきたことを綴ろうと思います。



私は、4歳年上の兄の影響で4歳からサッカーを始めました。幼少期からサッカーしかしてきませんでした。



高校に入る時に親からは、「サッカーを今までのように続けるのは高校までだから最後頑張りなね。」と言われました。私が高校生になる時には、兄はもう大学に通っていてサッカーは趣味として続けており、将来やりたいことが決まっていたので勉強に専念していました。



なので、私の家族は大学サッカーというものをあまり知らなかったので、大学ではサッカーを「やらない」のが普通のことだと思っていました。



しかし、高校でサッカーを続けていくうちに大学サッカーのことを知り、やっぱりサッカーが大好きなので大学でもサッカーを続けたいと思い、親に相談すると「分かった。良いよ。」と言ってくれました。



なので、私は大学でもサッカーを続けることができる「帝京大学」へ進学することを決めました。



その大学サッカーを振り返ります。



1年


1年では、Bチームでのスタートで1年の1人が荷物担当リーダーとして荷物の管理をするルールがあり、コーチに「友也が荷物担当」と言われ、何か一つでもないと責任は私になり、連帯責任として練習をやめたり罰走がありました。

ビブスは1年が全員で洗濯し次の日の練習で持ってくるのですが、練習の時間に授業がある人がいた為、ビブスが足りない時があり、練習中にないことが分かったので気づいた時にはもう遅かった。めちゃめちゃ怒られました(笑)

その時はホントにきつかったのですが、その経験をしたことにより、荷物など人任せにせず、4年間やってこれたと思います。



2年


1年の冬からAチームに上げてもらい、活動してきました。

しかし、2年では公式戦で一度もベンチにも入ることもできず、シーズンが終わりました。同じポジションの先輩が怪我をしてベンチに控えがいなくてもベンチ入りすることはなかった。

公式戦の試合中はビデオをずっと撮っていました。



練習中は試合に絡みたい一心で練習は常に一生懸命取り組み努力しました。

練習が終わると何の為にサッカーをしているのかと考えるようになりました。

何の為に朝早くに起き、厳しい練習をしているのかとネガティブな方向へ気持ちが落ちていきました。

試合に絡めていないからこそ、周りとの差を縮め、追い越す為に厳しい練習や自主練をすることは自分が1番分かっている。と頭で考え日々行動してきたシーズンでした。



冬には新人戦という1・2年の大会があり、ベンチ入りはできたものの1試合も出ることはありませんでした。1年間Aチームとして活動していましたが、途中から試合に出るのは同じポジションのBチームだった選手でした。その頃が1番自分のメンタルが落ちていました。サッカー部を辞めたくもなりましたが、サッカーを好きなことは変わらなかったので辞めることはなかったです。



スポーツは実力の世界です。

その時に調子が良い選手を使うのは当たり前です。

練習するしかないと自分に言い聞かせて取り組みました。



3年


3年になり、コロナウイルスが蔓延し、活動自粛が余儀なくされました。

しかし、その中でも活動再開に向けて、チームで出された課題やチームでオンライントレーニングなどを行っていました。なので、あまり会ってない感じはしませんでしたね(笑)

活動が再開されると、公式戦が始まり、初戦で初めてベンチ入りしました。残り1分で試合に出て、ボールを触らずに試合が終わりましたが、去年よりは成長したのかなと思いました。



しかし、やはり私はあまり成長していなかったようです。

初戦以外そのシーズンもベンチに入りすることすらできませんでした。

2年の時と違うことは、コロナウイルスにより、試合会場に行く人数を最小限にする為、メンバー外は試合会場に行かず、学校で練習をしていました。

試合結果はTwitterの速報で知るようになりました。

勿論勝った時は嬉しいし、負けたら悔しいけど試合に関わらなさ過ぎてどこか自分が好きなチームを応援しているサポーターのような気分になる時がありました。

そんな自分が情けなかったし悔しかった。



そんな中、私は10月に練習中に腿裏の肉離れをしてしまい、3年での復帰ができませんでした。練習しかしてこなかった私が練習すらもできなくなり、大学サッカーももう終わったなと正直思いました。今まで続けてきたサッカーの最後がこんな終わり方は絶対嫌だと思い、リハビリを真面目に取り組みました。リハビリはグランドで行っていたので、みんなが練習をしているのをみながらできたのですが、サッカーをしているのを見るとホントにサッカーがしたくて堪らなくなり、とても辛かった。試合に出れなくてもサッカーがしたい思いが強かったのは、サッカーが好きなだけじゃなく、みんなとこのメンバーとサッカーがしたいと思ったからだと思いました。部分復帰ができるようになり、もう少しで復帰できると思っていたら、コロナウイルスにより活動自粛となった。



4年


4年の始まりは部員全員でオンライントレーニングやランメニューで、活動再開ができるまで体力などをつけていました。3月になりやっと活動再開ができるようになり、私も5ヶ月ぶりの復帰となりました。活動が再開してから1週間程で、私だけが体がついていかないのが分かりました。守備でも最後の一歩で怪我していた部分が伸びるのが怖くて足が出ないということが多かったです。



そして次の週、私はBチームに落ちました。当時は毎週末に全カテゴリー混合の紅白戦を行い、カテゴリーの入れ替えを行うものだった。「入れ替」えという言葉を聞き、私は落ちるんだと予想していましたが、現実的に落ちるとやっぱりメンタル的にはきつかったけど心の準備をしていてよかったと思いました。次の日にはもう練習があったので気持ちを切り替えて大学サッカー、学生スポーツ最後の年で後悔したくなかったのでAチームで試合に出るという目標は変えずにまずはBチームでの日々の練習に全力で取り組みました。私のかける声によっていかに周りの選手を動かせなければいけないポジションか改めて感じ、より周りと声を掛け合うようになりました。



その結果1ヶ月と少しでAチームに戻ることができました。

そして今までベンチにも入れなかった私がベンチに入る試合やスタートとして使ってもらえる試合が数試合ありました。

自分のせいで失点しホントに落ち込んだこともあるけど、公式戦に4年目にして出れたことはとても嬉しかったし、頑張ってきてよかったと思いました。



私が4年目にして初めて公式戦に出る時に、

「やっと友也と一緒に出れるよ」

「友也が出るの嬉しい」

と言ってくれたり、連絡をしてくれる同期がいて改めてこの代で、みんなとサッカーができていることを最高に思いました。



長くなりましたが、ここまで読んで頂き有難う御座いました。

残り約1か月、学生としてのサッカー人生を悔いなく頑張っていきます。


鈴木友也|TOMOYA SUZUKI

学年:4年

学部:経済学部

前所属チーム:平塚学園

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